ABBM OUTDOOR

ファミリーキャンプ、ソロキャンプ、そして今度は狩猟!? いろんな野外活動やってみたい!キャンプ主体のそんなアウトドアブログです。

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診断下る。そして入院・転院・手術

   

首の痛みに耐えながら救急車に乗せられて最寄りの病院へ。
今日はそこから手術までのことをざっくり書こうと思います。

レントゲン写真やCTの画像が出ます。苦手な方はご注意ください。

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撮影 and 撮影

事故現場から最寄りの病院へ。
ストレッチャーでガラガラと運ばれて行った先はおそらく救急外来。のすごく広い診察室。

厚着していたので救急車内ではオーバーパンツとジャケットを、救急外来ではズボンを切り裂かれ、擦過傷への処置を施された。
首には救急隊員が装着したネックカラーを付け、微動だにするなと言われた。そしてすぐにCTへ。CTが終わったらレントゲン。

182cm、80kgの体なのでストレッチャーから台への移動は4人がかりでした。それでも揺れや振動で首に激痛が走る。
この痛み方はやっぱり首も折れてるんだろうか・・・手は間違いなく折れてるなぁ。

CTは何度も機械の中を行き来し、複数回撮影を行った。レントゲンは手を押さえたりOKサインを作って撮影とかでかなり辛かった。
そうこうしているうちにも手がみるみる腫れあがり、変色していく。ちょっとこれは尋常じゃないかもしれない。

撮影が終わると、また救急外来へ戻された。両手両足が動くか、感覚があるかなどの確認をされた。
左足は感覚があるものの全く動かせず。医師の表情が一瞬険しくなったように見え、不安を覚えた。

先ほど撮った画像が出来上がるまではこの場で待機とのこと。しばらく待っていると家族が到着した。
嫁さんはこっちの姿を見るなり絶句していた。オカンは今にも倒れそうだ。いつもはやかましい息子もやけに大人しい。
みんな、ごめんなぁ。

 

診断

1回目の診断

左手複数個所骨折。

家族も同席のもと下された1回目の診断はこうだった。自分もモニターを見たかったけど、体は起こせず、首も回せないのでほとんど見えなかった。
3Dで撮影されたらしき画像がクルクル回っていて、すごいなぁと思ったぐらいだった。腫れ方と痛み方からしてそうだろうと思ってのでこの時点で驚きはなかった。
新品のヘルメットを着用していたおかげで頭蓋骨へのダメージは見受けられないらしい。実際、顔には全く怪我をしていなかった。
やはり良いヘルメットは大事なんだなと再認識することになった。

でも首の痛みについて説明がされなかったので尋ねてみると、どうやらどうも指示が錯綜しており、撮り忘れていたらしい。
結構な勢いで触診をされた時あまりにも痛かったので撮り直すことなった。2度目のCTへ。

 

2度目の診断

頸椎骨折。

やはり折れていた。医師のトーンが急に変わって、何が何でも絶対動くな絶対安静だと言われた。
脊髄に何が起きていても不思議ではなく、すぐにでもMRIにかけるべきだけど、技師がいないため今はできないという。
そのためこのまま入院し、翌日MRIが空き次第すぐに行うとのこと。

それまでは上記の通り絶対安静でトイレにも行けない。ベッドの角度も30度までは上げていいけどそれ以上はダメだとか。
なんて情けない姿になってしまったのだろう・・・。

左手はパンパンに腫れ、首にはネックカラー。唯一まともに動く右手で自撮りをするあたり、緊張感がないのか、楽観しているのか諦めてるのか・・・。

 

3度目の診断

翌朝、午前中にはMRIの空きができたらしく、割とすぐに撮影を行うことができた。午後には画像も出来上がり、医師が診断を告げに来た。

結果、脊髄には異常が見られなかったとのこと。
先生は「奇跡だ」と言っていた。普通、バイク事故で首痛めたら高確率でもうダメなんだとか。
事故時から装着していたネックカラーは救急隊のものらしいので、装具屋の正式なネックカラーを付けられた。
そしてこの時から自分でトイレに行く許可が下りた。

トイレについては前夜からとにかく辛かったのですごくうれしかった。ベッドの上で尿瓶て本当になんというか・・・。精神的にも辛いもんです。
左足が動かないのはどうやら筋損傷のようで、激しい筋肉痛になっていた。たぶん事故の瞬間、飛ばされまいと限界以上の力をいれてニーグリップしていたらしい。
歩くのはおぼつかないけど、なんとか一人でトイレに行けた。

脊髄の損傷がないとのことで、頸椎の手術はしない方針となりました。やはり脊椎はデリケートなところなので可能な限り保存療法で治すのだそうです。

 

転院について

事故後に救急搬送された病院は自宅から遠く、通ってくれてる嫁さんにもかなりの負担があったので転院を希望した。
高校の時からお世話になっている総合病院があるのでそこを希望し、先生方も転院できるように頑張ってくれた。

転院の準備が整うまではこのまま今の病院で過ごすことになった。

この日は朝から職場へ電話をし、事故について話した。同僚から「かなり騒ぎになっとる」とのメッセージが飛んできた。
繁忙期のピークの時期に事故って仕事いけませんってなったらそりゃものすごいことになってるだろうなぁ。
すぐさま部長から電話が来たりして、MRIの時間以外はほとんど電話していた。
とにかく引継ぎが大変だった。翌日には上司が3人来て2時間ぐらい引き継ぎについて話していた。

苦労して獲得した案件も、完成間近だった案件もすべて手を離れてしまった。
やるせなくて、気力がどんどんと抜けていくようだった。でもそれと同時に肩の荷が下りたような気もした。
ここから先、怪我の治療や保障のことで長い戦いになる。そう思うとちっとも楽になんてなってないと気付いた。

 

しかし、左手の変わりようが酷い。パンパンに腫れあがり、死体のような色になっている。
もしくはゾンビのような。とにかく腐った色だ。これは正直怖い。すぐに手術しなくていいのだろうかと心配になる。

 

転院

数日間の入院ののち、いったん退院となった。お世話になった病棟を後にし、久しぶりの帰宅。
ここまで一度も風呂に入れず、気持ちが悪いので嫁さんに洗ってもらった。ネックカラーは外したけど、一切首を動かさないようにした。
危険な綱渡りだったけど、どうしてもシャワーを浴びたかった。しかし、31歳にして介護されるとは思わなった。

3/16、搬送された病院にもらった画像データの入ったDVDと紹介状を持って自宅近くの総合病院へ行った。昔から通い慣れた病院。
画像データを渡して小一時間まっていると呼ばれた。

 

4回目の診断

頸椎について

 

第5頸椎棘突起骨折
第6頸椎圧迫骨折

上の丸が第5頸椎の棘突起が骨折している箇所。
下の丸は第6頸椎の圧迫骨折箇所です。なんと2か所も骨折していました。これで脊髄に損傷がないのは本当に奇跡なのかもしれない。

治療は、搬送された病院の下した治療方法と同じで、長期間ネックカラーによる固定をしての保存療法でした。
残念ながら圧迫骨折している箇所は元には戻らないらしい。なんてこった。。。

癒合にかかる期間は1~2か月だそうで、その間は常にネックカラーをつけての生活。
右も左も首を回してはいけない、寝るとき枕の使用禁止、横向きに寝るのも禁止、寝返り禁止。まともに休める気がしない。

 

左手の診断

第2中手骨、第3中手骨、第4中手骨骨折
橈骨遠位端骨折
尺骨遠位端骨折
有鈎骨骨折

マルがついているところが骨折箇所です。上二つが右から第2中手骨、第3中手骨。
下のマルは右から橈骨遠位端、尺骨遠位端。

搬送先の病院でまずレントゲンを撮ったもののあまりにも酷そうだということでCTで詳しく調べた結果が下の画像。

 

手の甲側。第3中手骨(中指の中手骨)は3つに分かれてはっきりズレている。
橈骨と尺骨も折れているのが分かる。

 

手のひら側から見ると第2中手骨のズレもかなり酷い。
それと同時に第4中手骨が折れているのが分かる。見ずらいけど有鈎骨が折れているのもわかる。

結局、左手だけで8か所も骨折していた。
元の手には戻らないかもしれないとう覚悟をしなければならないようだった。
実は私は左利き。利き手が使えなくなるかもしれず、たじろいだ。

一つ確かなことはとにかく手術が必要だということ。

 

その他の診断

左足は擦過傷と膝の打撲で腫れているものの、骨には異常なし。
左ひじも痛めていて、まっすぐ伸ばせなかったものの、こちらも骨に異常は無し。

左手の腫れと変色は、「辛いだろうけど、こまめに動かしたりして血流をよくして」と言われた。
今のままだと本当に壊死しかねないと言われてしまった。腫れがひかなければ術後に患部を縫合せず対象の筋膜を開放状態にして内圧を下げるんだとか。怖っ。

ちなみにコンパートメント症候群というそうです。

手術

本当はすぐにでも手術をと行きたいところだったが、特殊な器具を用意しなければならないらしく、6日後となった。
それまではまた自宅療養。いつものベッドでは激痛で全く寝れないので介護ベッドをレンタルした。
角度をつけるとなんとか少しだけ寝ることができる。それでも1度に寝ることができるのは1時間半ぐらいで、痛みや寝返りの欲求から起きてしまう。

手術は部分麻酔の予定だったものの、手術時間が長くなるとのことから全身麻酔に切り替えられた。
前日の診察では左手の腫れも変色も少し良くなっていると診断された。患部開放は免れた。。。

 

そして手術当日。

 

自分の足で歩くことができるため、徒歩で手術室へ向かった。
手術台に自ら横たわる。手術台のクッションって加熱されていて温かいんですねー。

右腕を伸ばし、点滴を付けられる。口に酸素マスクを当てがわれ、左手は台の上へ。
そしてしばらくして別のマスクに付け替えられるとすぐに意識を失った。

 

そして、次に目が覚めたのは自分の病室だった。

 

 

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